後から後悔するために、何かを選択をする人間はいない。
今から考えると、どんなにか愚かに思える選択も、
その時点の自分にとっては最良の選択だったはず。
だから、たとえ今がどんなに最悪に思えても、
それは自分がとり得た未来の中で、最善の状況なんだ。
故に進め。後悔など時間の無駄だ。前に進め。
・・・という言い聞かせをよく僕は自分にしています。
とりあえず現状を肯定するには都合が良い言葉だけど、
あまり使いすぎると現状を客観視できなくなる諸刃の剣。
うーん。
失敗した(している)、かな。
認めたくはないが。
後悔と反省は違うものだ、とはよく言うけど、
後悔しないことに気をつけるあまりに、
反省が疎かになるなんてのもよくある話で。
未だに、憧れと好意すら理性で分割出来ない僕が、
その類の人間では無いと、どうして言い切れるだろうか。
そこに後悔を伴うとしても、
もしくは後悔と反省を分割出来なかった未熟さ故に、
僕には反省する必要があるのかも知れない。
たとえそれで動けなくなるとしても。
2009年11月03日
2009年09月24日
要領が良い≠効率が良い
要領が良いということと、
効率が良いということは、
ノットイコール。
効率が良いというのは、
単位時間あたりの仕事量が大きいということ。
要領が良いということは、
目的の優先順位を正しく設定し、
かつそれを遵守すること。
これは経験則だけど、
要領が良い人間は効率も良いことが多いが
(たぶん要領よく仕事を片付ける過程で効率が上がるのだろう)、
効率の良い人間が要領も良いとは限らない。
僕は近視眼的過ぎる。
おそらく効率は良い方だが、
要領は良くない。
そんな自戒。
明日から仕事だ。
お給料分の仕事をするのは当然だが、
仕事をすること自体が目的なのかどうかは
考えなくてはならない。
効率が良いということは、
ノットイコール。
効率が良いというのは、
単位時間あたりの仕事量が大きいということ。
要領が良いということは、
目的の優先順位を正しく設定し、
かつそれを遵守すること。
これは経験則だけど、
要領が良い人間は効率も良いことが多いが
(たぶん要領よく仕事を片付ける過程で効率が上がるのだろう)、
効率の良い人間が要領も良いとは限らない。
僕は近視眼的過ぎる。
おそらく効率は良い方だが、
要領は良くない。
そんな自戒。
明日から仕事だ。
お給料分の仕事をするのは当然だが、
仕事をすること自体が目的なのかどうかは
考えなくてはならない。
2009年09月21日
090921
連休3日目ですね。こんにちは。
土日は休んでしまったので、
今日は仕事しなきゃなーと思って、
朝8時に起きて、珍しく朝ごはん作って食べたんです。
そしたら気を失って。
廊下で寝てて、
気がついたらこんな時間でござる。
やっぱなれないことはするもんじゃないね。
今も胃袋に血が行って頭まで回ってない感じ。
僕みたいな1日1食erの方は気をつけてください。
あー頭ガンガンする。
もっかい寝よう。
くそー仕事終わらねぇ。
土日は休んでしまったので、
今日は仕事しなきゃなーと思って、
朝8時に起きて、珍しく朝ごはん作って食べたんです。
そしたら気を失って。
廊下で寝てて、
気がついたらこんな時間でござる。
やっぱなれないことはするもんじゃないね。
今も胃袋に血が行って頭まで回ってない感じ。
僕みたいな1日1食erの方は気をつけてください。
あー頭ガンガンする。
もっかい寝よう。
くそー仕事終わらねぇ。
2009年08月25日
090824
甲子園決勝戦、当然ながら仕事してたので、
こっそりネットでスコアだけ追っかけてたんだけど、
9回の天理の反撃は数字しか見てなくてもちょっと感動した。
球児のみなさんお疲れ様でした。
こっそりネットでスコアだけ追っかけてたんだけど、
9回の天理の反撃は数字しか見てなくてもちょっと感動した。
球児のみなさんお疲れ様でした。
2009年08月23日
1/1 ガンダム
2009年08月22日
通勤用鞄
2009年08月09日
エナメルのブーツ
2009年05月17日
特にお子様の誕生日は〜のところで笑った。
スローモーションでもう一回爆発させるシーンをインサートするのがえらいよね。
そんだけ。
2009年05月10日
ルーヴル美術館展|17世紀ヨーロッパ絵画
という名前の展覧会に行ってきました。
@国立西洋美術館。

人によってはまだGW中とは言え、どちらかと言えば空いていることの多い西洋美術館にしては結構な人の量。
最近何処でもルーヴル展やってるのは、やっぱり集客力が有るからなんでしょうか。
MoMAとかはもうブランドっぽくなっちゃったけど、美術館の名前にネームバリューが発生するのって何だか日本っぽいですね。
日本だけなのかどうか、実際の所は知らないけど。
展覧会の名前の通り、17世紀にフォーカスした展示内容でした。
大きく分けて「宮廷画」「旅行」「宗教画」の3章に章立てされてたけど、なんだか無理矢理分けた感があってあんまりストーリーを感じなかったなぁ。
もうちょっと文章解説を充実させてほしかった。
中尾彬の音声解説を聞けばまた印象違ったのかしら。
でもあの手の解説は当たり外れが大きいからなぁ。ううむ。
なんとなくで気に入った絵葉書を買ったら見事に宗教画ばかりでした。
結局自分の感性ってミーハーなんだなーと思います。
分かりやすくていいじゃんね、宗教画。

明日でとうとうGW終了です。
他人より長く休暇をとっても、月曜日が憂鬱であることに変わりはありません。
まーしゃーないかー。せめて明日は目一杯だらけよう。
@国立西洋美術館。
人によってはまだGW中とは言え、どちらかと言えば空いていることの多い西洋美術館にしては結構な人の量。
最近何処でもルーヴル展やってるのは、やっぱり集客力が有るからなんでしょうか。
MoMAとかはもうブランドっぽくなっちゃったけど、美術館の名前にネームバリューが発生するのって何だか日本っぽいですね。
日本だけなのかどうか、実際の所は知らないけど。
展覧会の名前の通り、17世紀にフォーカスした展示内容でした。
大きく分けて「宮廷画」「旅行」「宗教画」の3章に章立てされてたけど、なんだか無理矢理分けた感があってあんまりストーリーを感じなかったなぁ。
もうちょっと文章解説を充実させてほしかった。
中尾彬の音声解説を聞けばまた印象違ったのかしら。
でもあの手の解説は当たり外れが大きいからなぁ。ううむ。
なんとなくで気に入った絵葉書を買ったら見事に宗教画ばかりでした。
結局自分の感性ってミーハーなんだなーと思います。
分かりやすくていいじゃんね、宗教画。
明日でとうとうGW終了です。
他人より長く休暇をとっても、月曜日が憂鬱であることに変わりはありません。
まーしゃーないかー。せめて明日は目一杯だらけよう。
2009年05月03日
一瞬のきらめき まぼろしの薩摩切子
↑という名前の美術展に言ってきました。
@サントリー美術館(東京ミッドタウン)。

絵画とかは、作品そのものと併せて、
その時の作家の状況とか時代背景などの外部知識を得ることで、
分かったり気づいたり(した気になる)ことが多いし、
それが結構楽しいんだけど。
この手の伝統工芸とかプロダクト系は、
そういった外部知識無しに、ぼーっと眺めるのが好きです。
何というか、無心?チックになる。拡散する感じ。
そこら辺の違いはどっから来るのかなー?とか考えてるんですが、
多分、作家性の強い(=外部知識がある方が眺めてて楽しい)作品は、
交響曲とかオペラみたいなものとして、
作家性の弱い(=作品単独で鑑賞する方が楽しい)は、
練習曲とか、そういう感じのものとして僕が捉えていることと、
作品を眺める前に、眺める作品に対してそういうカテゴライズを行っていることが原因なのだろうなーと思いました。
あ、とても誤解を招きそうな表現を使ってしまったけれど、
別に絵画が偉くて食器が偉くないとか、
そういうことを言いたいわけではない。
ある曲が存在するとして、
音を用いて音以外の何かを表現することと、
綺麗にドの音を弾くことのどちらに主眼が置かれているのか?
そして観客の僕がどちらとしてその曲を捉えて/捉えようとしているか?
みたいなことを言いたい。
って、余計に何を言いたいのかわからないな。
えーと。
作品を作る目的が、その作品を鑑賞した人に影響することにあるか、
それとも、作品を作るということそのものが目的か。
まず美術品というものの中にそういう2つのカテゴリがありそうだ、という僕の認識についてと、
実際に作品を鑑賞する前の情報によって、その2つのカテゴリが僕の中で事前に決定されてそうだ、ということについて多分言及したいオレNow。
さーぐちゃぐちゃしてきたぞ。
あくまで僕の主観ですが。
モネ!とかガレ!とか作者の名前がフィーチャされる作品は、
それらの外部知識と作品そのものの組み合わせで作品を鑑賞するのが楽しいし、
薩摩切子!とか文房具!とか作品の属性(もちろん作者名も作品の属性なんだけど、そうじゃない、作家性以外の部分)がフィーチャされる作品は、外部知識無しに作品を鑑賞した方が楽しい!とどうやらオレは感覚しているらしい。
そしてそれらのカテゴライズは実際の作品を鑑賞する前にどうやら決定しているような気がしているらしい。
うーん。本当か?
じゃあ今回の展示が「薩摩切子!」ってとこにフィーチャしてなくて、
「誰々作!」ってとこにフィーチャしてたら、
作品の見方や感想が変わってたのか?
変わってた可能性は測れないから分かんないけど、
多分「誰々作!」ってフィーチャのされ方をしてても、
やっぱりプロダクトとして眺めてたと思うんだけどなー薩摩切子。
自分の審美眼的なもの、もしくは作品自体の力的なものを信じたがってるだけかなぁ。
まーそもそもある作品を作者がどっちの気分で作ってるかなんて、
本当は誰にも分かんないんだけどね。
分かんないからどっちでも好きなように解釈していいかは
また別なのかも知れないけど。

あー。本当は
『目的が他に影響することにあるか or 目的自身が目的化するか、
後者はよく悪い見本として語られがちだけど、
でもそれはそれで美しいよね。美しくね?
とりあえず僕は美しいと感じるんだ。うん。』
みたいなことを書きたかったけど、途中で主題が変わってしまった。
なんという日記的文章。つれづれすぎる。
こんなの公開する意味無いけど書いたからいいや。えい。
ということで。
薩摩切子綺麗だった!満足!! という内容の日記でした。まる。
@サントリー美術館(東京ミッドタウン)。
絵画とかは、作品そのものと併せて、
その時の作家の状況とか時代背景などの外部知識を得ることで、
分かったり気づいたり(した気になる)ことが多いし、
それが結構楽しいんだけど。
この手の伝統工芸とかプロダクト系は、
そういった外部知識無しに、ぼーっと眺めるのが好きです。
何というか、無心?チックになる。拡散する感じ。
そこら辺の違いはどっから来るのかなー?とか考えてるんですが、
多分、作家性の強い(=外部知識がある方が眺めてて楽しい)作品は、
交響曲とかオペラみたいなものとして、
作家性の弱い(=作品単独で鑑賞する方が楽しい)は、
練習曲とか、そういう感じのものとして僕が捉えていることと、
作品を眺める前に、眺める作品に対してそういうカテゴライズを行っていることが原因なのだろうなーと思いました。
あ、とても誤解を招きそうな表現を使ってしまったけれど、
別に絵画が偉くて食器が偉くないとか、
そういうことを言いたいわけではない。
ある曲が存在するとして、
音を用いて音以外の何かを表現することと、
綺麗にドの音を弾くことのどちらに主眼が置かれているのか?
そして観客の僕がどちらとしてその曲を捉えて/捉えようとしているか?
みたいなことを言いたい。
って、余計に何を言いたいのかわからないな。
えーと。
作品を作る目的が、その作品を鑑賞した人に影響することにあるか、
それとも、作品を作るということそのものが目的か。
まず美術品というものの中にそういう2つのカテゴリがありそうだ、という僕の認識についてと、
実際に作品を鑑賞する前の情報によって、その2つのカテゴリが僕の中で事前に決定されてそうだ、ということについて多分言及したいオレNow。
さーぐちゃぐちゃしてきたぞ。
あくまで僕の主観ですが。
モネ!とかガレ!とか作者の名前がフィーチャされる作品は、
それらの外部知識と作品そのものの組み合わせで作品を鑑賞するのが楽しいし、
薩摩切子!とか文房具!とか作品の属性(もちろん作者名も作品の属性なんだけど、そうじゃない、作家性以外の部分)がフィーチャされる作品は、外部知識無しに作品を鑑賞した方が楽しい!とどうやらオレは感覚しているらしい。
そしてそれらのカテゴライズは実際の作品を鑑賞する前にどうやら決定しているような気がしているらしい。
うーん。本当か?
じゃあ今回の展示が「薩摩切子!」ってとこにフィーチャしてなくて、
「誰々作!」ってとこにフィーチャしてたら、
作品の見方や感想が変わってたのか?
変わってた可能性は測れないから分かんないけど、
多分「誰々作!」ってフィーチャのされ方をしてても、
やっぱりプロダクトとして眺めてたと思うんだけどなー薩摩切子。
自分の審美眼的なもの、もしくは作品自体の力的なものを信じたがってるだけかなぁ。
まーそもそもある作品を作者がどっちの気分で作ってるかなんて、
本当は誰にも分かんないんだけどね。
分かんないからどっちでも好きなように解釈していいかは
また別なのかも知れないけど。
あー。本当は
『目的が他に影響することにあるか or 目的自身が目的化するか、
後者はよく悪い見本として語られがちだけど、
でもそれはそれで美しいよね。美しくね?
とりあえず僕は美しいと感じるんだ。うん。』
みたいなことを書きたかったけど、途中で主題が変わってしまった。
なんという日記的文章。つれづれすぎる。
こんなの公開する意味無いけど書いたからいいや。えい。
ということで。
薩摩切子綺麗だった!満足!! という内容の日記でした。まる。

